上野裕一郎さん立教大陸上部監督に

 13日、立教大から次のとおり発表がありました。

 

 立教大学は、2024年の創立150周年に向けた記念事業として、

「立教箱根駅伝2024」事業を開始、

2024年1月の箱根駅伝本戦出場を目指します。

 これに伴い、体育会陸上競技部の男子駅伝監督に

DeNAランニングクラブ選手の上野裕一郎氏が内定、2018年12月に着任予定です。

 

 上野選手というと、どうしても1年生時の箱根1区大ブレーキの印象が強いですが、

長い間、日本を代表するスピードランナーとして活躍されました。

 お疲れ様でした。

 今後、指導者としての活躍を期待し、応援したいと思います。

 

 箱根駅伝を目指す学校がまた増えましたね。

 青山学院や明治が強化するに比例して、中央大が厳しくなったことを思い出します・・。

 MRACHでの選手獲得競争が激化するのでしょうか??

 

 

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コメント: 8
  • #1

    上野裕一郎選手は (水曜日, 14 11月 2018 19:37)

    上野裕一郎選手は藤原正和選手(現・駅伝監督)とともに(過去20年の)中大陸上部長距離ブロックOBの中では最も知名度が高く、最も記憶に残る選手、見ているファンを最もワクワクさせてくれた選手だと思います。1年の箱根駅伝1区ではブレーキとなりましたが、頭を坊主にして出場した都道府県駅伝・長野県代表のアンカーとして兵庫県のアンカー北村選手(西脇工~日体大)とのライバル対決に勝って優勝に貢献、あの時の記憶は多くの人に残っていると思います。当時は中大と言えば誰もが上野裕一郎という存在でした。実業団ではマラソンでは結果が出ませんでしたが、トラックでの強さは傑出した選手でした。

    指導者への転身が成功することを願います。

  • #2

    福島太郎 (水曜日, 14 11月 2018 20:04)

    上野裕一郎選手は
    傑出したルーキーとして
    中大に入学されてきたのですね。
    箱根では1区に登場してきました。
    しかし、案に相違して体調不良の上野選手は結果を出せずに
    最下位で
    2区の高橋選手にタスキをつなぐことになりました。

    くしくも2区の大エース高橋選手も
    1年生のときに苦杯をなめた選手でした。
    最下位で2区にタスキをつないだ上野選手に対して
    高橋選手は
    上野選手の肩を軽くポンとたたき、
    元気よく2区に走り出していったのでした。
    素晴らしかったですね。

    それからの中大は
    凄まじい怒涛の勢いでした。
    優勝はならなかったが
    感動的というような素晴らしい劇的な追い込みでしたね。
    優勝したチームより中大が圧倒的に強かったときでした。
    それも…上野選手の最下位が演出したものかもしれませんね。
    すばらしい中大の駅伝でした。

    2年目以降の上野選手は
    その才能を遺憾なく発揮し
    中大の見事な大エースで通しました。
    強い印象を残した選手でしたね。

  • #3

    福島太郎 (木曜日, 15 11月 2018 06:05)

    上野選手が一年生のときの主将が
    高橋選手でしたが
    彼も印象に残る選手でしたね。

    何と言っても開始早々の1区で
    期待の上野選手が最下位できたのですからね。
    しかし・・・彼は大人っぽい余裕の表情で
    心配するな!任せておけ、という風に
    上野選手の肩をポンと叩き
    2区のコースに飛び出していき
    結果も…多分、区間3位だったと思いますね。
    ものすごい頑張りでした。
    普通ならレースを投げ出してしまうでしょうが
    高橋選手は少しも意気阻喪することなく
    力を出し切ったのでした。

    これが3区以降の選手にも大きな勇気を与えたのでしょうね。
    いずれも
    猛烈に追い上げ
    最終的には総合3位か4位までに至ったのでした。
    すごい駅伝でした。
    中大が単なる名門ではなく
    箱根を背負ってきた大学であることを示した場面でしたね。

    田舎の実兄がわざわざ電話を寄こし
    中大が一番強かったと言ってきたものでした。
    そういう中大を見せることができたのも
    主将である高橋選手の姿勢だったのでしょう。

    中大には、こういう印象に残る主将がいるのですね。
    最近では、無論、舟津選手ですが
    その前では、数年前の永井選手でした。
    シード権確保かという段階で
    アンカーの多田選手が遅れシード権を失ったときの箱根でしたが
    このときの主将の永井選手はレース後に
    結果は残念ですが、中大にとっても、多田にとっても、
    これは“挽回できる失敗”だと思うんです。
    また、明日から頑張ればいい・・・というような趣旨のお話をされたのですね。

    この言葉は、なかなか言えない言葉ですよ。
    まさに大人の言葉でした。
    普通の大人でも容易には言えない言葉でしょう。
    主将という立場が、彼をここまで成長させたのか・・・
    正直よくわかりませんが
    中大というチームが、元々選手主体のチームという伝統が
    こういう主将を生むのでしょうか・・・ね。





  • #4

    ポエマー健在 (木曜日, 15 11月 2018 19:10)

    今年も、はやこの季節が来たかという感じの長文連投ですね。
    相変わらずこのエピソードがお好きなようですが、高橋憲昭選手の代の主将は家高選手です。この機会に覚えてください。

  • #5

    福島太郎 (木曜日, 15 11月 2018 19:13)

    あら、そうでしたか。
    失礼しました。

  • #6

    元権田坂付近住民 (木曜日, 15 11月 2018 20:18)

    高橋憲昭選手がブレーキを起こしたのは2年生のときですね。
    5区を予定していた池田選手が急遽1区に回り高橋選手が5区を担当することを余儀なくされました。
    当時のキャプテンが藤原現監督で、ブログで高橋選手を庇っていました。

    4年生のときの高橋選手の活躍はおっしゃる通りだったと思います。

  • #7

    とーりーすーがり (日曜日, 18 11月 2018 23:52)

    >「MRACH」

    これが何を意味するか分かりませんが
    児童の心身を蝕む受験ゴロツキ屋が振り回している言葉を
    わざわざ使うのはやめましょう。
    いんちきな偏差値番付か何かで勝手に括られて
    大迷惑している人も無数にいるはずです。
    五大法律学校ならば、歴史的な語ですが

  • #8

    とーりーすーがり (日曜日, 18 11月 2018 23:57)

    >ポエマー健在
    >(Thursday, 15 November 2018 19:10)
      ↑
    この種の陰湿なイヤガラセ投稿者を放置しているのも、
    学員会の看板を掲げたサイトの運営者の資質を疑われかねません。

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